ついにテレビを部屋から追い出した。
テレビという存在は意外にも大きく、テレビがなくなったというだけで圧迫感がなくなった。
何とも言えない解放感と少しの寂しさがある。
そうテレビは確かに生活の一部だった。
ほとんどテレビを観ることもなかったけど、慣れ親しんだものがそこにあるというだけで、
なんとなく落ち着くものだったりする。
そんなテレビというものがなくなり、静かな部屋にラジオという音が流れる。
テレビがないことでこのラジオから流れる音は、心が豊かになる感覚がある。
それは音に耳を傾けながら思いにふけったり。
今までラジオが特別好きだったわけでもないし、今もラジオを楽しみに生活をしているわけではないけど
自分では探すことが出来ない音楽や言葉に出会うことが出来るのだ。
テレビがないことで自分と向き合う時間を意識して作る様な気がする。
それは自分の必要としないものを手放すことで、心がスッキリするからかもしれない。
テレビを観なくてもその存在は僕には大きかったということだ。
僕にはテレビは必要なかった。しかしそこにあるということは、常に意識することになる。
意識することで余計な思考がそこには生じることになる。
そして僕は無意識のうちにテレビという存在に圧迫感を抱いでいたのである。
手放して初めて気づくこともある。
僕の周りには豊かなものであふれていることに。
音楽、映画、本、写真。
これらのことは僕を豊かにしてくれる。
なぜならこれらのことは自分で選ぶことが出来るから。
聴きたい音楽を聴いたり、観たい映画をみる。
好きな本を選んで読む。
写真を撮ったり、撮った写真を見たり。
そんな時間は幸せで豊かな時間になる。
ラジオを流しながら、今こうして書いている。
本当に自分に必要なもので囲まれたらもっとスッキリするだろうし、
もっと豊かな気持ちも増すことだろう。
日中は仕事で気を張っているので、
この一日の終わりを好きな空間で佇む。
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