「おはようございます。」・・・・・シーーン・・・・・。
皆さんこういう経験ありますか?挨拶したのに無視されたこと。私はある特定の人には、こういうことをよくされます。はっきりいうと、これすっごく腹が立ちます。こういうことを言うと、「お前、小さい男だな」と思われるかも知れませんが、構いません。はい、私は小さいのです。「朝から腹立つわ~」ってなっちゃいます。
どうしたら無視されないか、試行錯誤して見えた事
そこで絶対聞こえる距離で大きな声で挨拶して見ました。そしたら「おざす」と小さい声でかえってきました。
いやそれは挨拶とはみとめませんよ。
では、次です。
今度は目と目があってから挨拶するやり方なんですが、目そらされました。なので私も挨拶無し。
こうなったらこの人,スネてるとしかおもえません。私もスネました。そこで私また考えました。この人のご機嫌をとる事がコミュニケーションをするきっかけになるのではと。
いやいや、それは私は出来ません。サバンナの髙橋さん(芸人)みたいな太鼓持ちできませんよ。そんなことしたら私舌噛んじゃいます。
そこで私はもう挨拶されまいが、こちらがすればいいと思うことにしました。そうは思ったものの、心の中は釈然としません。
なぜ挨拶をされないのが気になるか
そこで私はどうして、この人に対して挨拶にこだわるのか考えました。そこで見えてきたことがありました。それはその人との距離が、近いことがこの感情の原因だったのです。
わたしは仕事柄、その人とほぼ毎日一緒に仕事をしています。例えていうなら「相棒」状態です。その相棒がわたしに挨拶をしたりしなかったり。このわたしが問題だったのです。他の人にはするのにわたしには挨拶をしないと。わたしは挨拶されないということを、こう捉えていました。
- 自分を軽く見ているのではないか
- 毎日一緒に仕事しているのだから、挨拶するには当たり前だ
- 何かまたスネているのだろうか
挨拶されない時があるという事実があるだけで、勝手な妄想をしていたのです。わたしは被害妄想をしていました。挨拶をされることで認められているというのは妄想です。自分を大事にしてほしいという恥ずかしい願望がここにありました。こうやって自分の感情を見つめ直していくとあることに気付きました。
他人に認められたいと思う必要があるのか
人に認めてもらうとはどういうことか。たとえばある仕事を上司に任されたとき、また先輩の仕事を手伝って仕事を任されたとき。このときに、任せられた仕事をしっかりする事で上司や先輩から信頼されます。そこで大事なのは、自分が褒められることや、よく思われるためにするのではないということです。任されたことを一所懸命にやった結果、認められたということが大事なことなのです。そういうことを繰り返していくうちに、認められて新たな仕事を任されるようになります。
しかし今回のことは、自分を大事にしてほしいという感情が真っ先にありました。これはどういうことかというと、挨拶しているから認めてよ、大事にしてよと。そうじゃないだろ!挨拶はコミュニケーションでしょ!ということに気が付きました。
認められたいがための行動が、胸の中のモヤモヤした感情を引き起こしていました。そもそも認められたいと思う必要はないのです。なぜなら、自分自身がしっかりやっていれば他人の評価は気にすることはないのです。人は自分の都合のいいように解釈します。
人を評価する人は、自分はちゃんとしていると思っています。しかしそれは自分の基準であって、それが全てではありません。自分がしっかりやっているかだけで良いのです。
自分の行動に目を向けることで楽になった
挨拶からダラダラと自分の考えを書いてきましたが、人のことを気にしないと気持ちが楽になりました。挨拶は大事なことです。その挨拶をできない人のことで、心をとらえられる必要はありません。
わたしは自分自身も完璧ではないので、自分の基準で他人を評価するのをやめました。自分の基準で相手を判断しそうになったら、その人の立場から物事をみる努力をします。そうすると理解はできませんが、その人に対して距離を置くことができました。逆に人の目が気になりそうになったら、「自分に集中、気にしない」と心の中でつぶやいて、自分のペースを保つように心がけるようにしています。
それによって人間関係が楽になりました。嫌われても好かれてもいいというスタンスです。そして挨拶はしっかりする!いい大人なんだからこんなことを、ちから強くいうのもおかしいんですけどね。
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