飲み会というものについて考えてみた

先日、上司二人を乗せた車で仕事に向かった。もちろん運転は私。その上司とは普段、会話をすることはほとんどない。そんな二人を乗せて車を走らせた。会話がない。

なんとか話題がないものかと考えてはみるも言葉が出てこない。わたしは、お喋りなほうではない。しかし、ここはとおもい話すことは仕事の話。早く仕事場についてくれと思っている時に限って道は込む。その後は長い沈黙の末、仕事場に到着。

仕事が終わり、帰り道はプライベートのことを少し話しながら帰ったが、やはり沈黙が長かった。仕事より道中が疲れた1日だった。わたしは家に帰るとふと思った。これは飲み会にいったときと同じような疲労感があると

飲み会という考え方

会社に勤めていると大抵、飲み会というものはつきものだ。普段接する機会が少ない人たちや、またはお世話になっている方々と話すことができるというものだ。これがなかったら飲み会の意味がない。また飲み会にはこういう考えもある。

こういう場に来れないようなやつは、仕事ができないと。行かなかったからといって直接そう言われるわけではないのだが、そういう雰囲気は必ずある。実際そういう場に行くと確かに、顔を覚えてもらえるし行かないよりは良いのかもしれない。しかし、私は飲み会というものは、苦痛である場合がほとんどだ。

飲み会という苦痛

それは単純に楽しめていないからだろう。私は飲み会でお酒を飲まない。これについては車を運転するから飲まないだけだ。他にも飲まない人はいるがその人たちがどんな気持ちかは知らない。これは私の考えだ。

そして、酒を飲んでいる人のテンションについていけないのだ。どんどん置いていかれる。飲み会での話題は、主に仕事の話が多い。しかし仕事の話は、自慢話か、終わった仕事の反省みたいなこと。こういう飲み会は時間が立つのがとても遅く、何度も時計を見てしまう。

酒を飲んで話す人で、言われたくないこと、たとえば、「結婚しないのか」とういうことを私に聞いてくる。これは、毎回のようにだ。これについて最初はこちらも真面目に答えていた。しかし相手からしたら酒の肴みたいなものなのだ。私も初めは必死に話して疲れていたが、慣れてくるとこの手の質問には私は動じなくなった。たぶんこの人に話しているうちに、私の中での考えが明確になっていったのだろう。

そして、人は人にあまり興味がないということも。また仕事の質問ばかりして話をしてくる人もいる。そんな質問に答えていても相手は知らない分野で興味がないだろう。しかし飲み会の席で孤独になるよりは、会話をしていたほうがマシという感じ。そう感じた時は、逆に私からその人に仕事の質問をしてみた。ばつが悪かったのか私の前から去っていった。

私は全員と話しているのではないので他の人が何を話しているのかは知らない。

飲み会とは

これはあくまでも私の考えた答えだ。私は飲み会というものを俯瞰して見ている。そこでは自分から楽しまないと楽しめる場所ではない。とくに接点があまりない人との場では、お互いに気を使うものだ。だからなのか、場が長くなると結局は気の知れた人同士がかたまり出す。

みんな飲み会とはそういうものだという感じでいるのではないか。そこを酒の力を借りて、その場を乗り切っているのだろう。みんな大人なのだ。確かに有益な飲み会もあるだろう。それは親しくしている人と少ない人数での場である。そこには自慢話はなく、仕事の経験談やアドバイスやプライベートな悩みなども聞いてもらえるだろう。そのように考えてみると、この場で自分だけが、苦痛を感じているのではないということだ。(たぶん)

酒を飲んでいる席では何が起きるかわからない。いやなことを言われても対処できるようになる。避けてばかりいてもレベルアップできない。気疲れするのはまだ飲み会に慣れていないのだろう。ふと先日の上司との車中の事と飲み会の席を重ねてみた話。

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こうの次郎

はじめまして、管理人の[こうの次郎]です。 1983年生まれの福岡県在住です。 高校のとき、難病と認定をされたのですが、 僕自身がそれを認めませんでした。 薬を飲まずにいたら、病院の先生に怒られてへこみまくったのですが、 さらにガン無視しました。 なので今僕は普通に、健康的に生きています。 最近はゆっくり体を鍛えていこうと思っています。 何もない僕が日々の出来事や感じたことを、書いていきたいと思います。 ブログを通して、自分がどんな感じになるかを 僕自身が楽しみに運営していきます。